sogaretoldme
Wordsno.001July 3, 2026

sogaretoldme vol.01

(友人から急に4時間の、podcastのような音声データが届く。内容は、彼が直近の数年で参加していた地方創生のプロジェクトの細かい話が2時間、その後、就職の報告。そんな流れだった)

実はその、4時間のポッドキャストを聞いてすぐに、本当は自分もボイスメモで録ったりしてみたんだけど、ちゃんと録ろうみたいな気持ちになっちゃったからなのか、説明しすぎちゃって。で、そのデータは消しちゃった。ポッドキャスト風にやるのも悪くないかなと、気が向いた時にやろうかなと思ってたら少し時間が過ぎてしまった。この音源のデータで返信できたらなと思ってます。俺も録り終えてみないとどんなノリになるのか全然わかんないんで、録りながらかなと思ってます。

(この文章は、その録音したボイスメモを文字起こしして、台湾のみんながわかりやすいように少し文章を加筆修正したものになります)

4時間の音声データが来た時って、みんなどんな気持ちなんだろうね。てかそんなこと、普段あまりないよね。

(彼は普段、半年に一回、長文の文章を送ってくる。日記のような、或いは少し論説文のような。手紙のようなもの)

自分の話をすると、ドイツに10ヶ月いて、3月末に台湾に戻ってきて——。10ヶ月経てば色んなことが変わっている。あの店もうなくなったな、とか。それだけじゃなくて台北って今家賃、地価が上がっていてドイツに行く前と同じ値段で同じような家を見つけようとするとなかなか見つけづらいと。だから帰ってきてから大体1ヶ月ぐらいは家探しに時間がかかるのかな、みたいなことは思っていたんだけど。その間は短期で貸し出ししているところやホテルに仮暮らししながら、家をパッと見つけよう、みたいな感じでは考えていたんだけど。

縁があって、台湾に着いてすぐに、友達が今住んでいるところの隣の部屋がたまたま空いてるから、おいでよ、と。で、OK OK、みたいな。ラフに「OK OK」みたいに言えるタイミングっていつも訪れるわけじゃなくて。穏やかでいたい時ってラフにはなれないし。台湾の、ドイツに比べたらカオスな——ドイツもカオスなんだけど——。混沌とした感じに戻りたいみたいな、そんな欲望もあったから、とりあえず「OK、OK」 みたいな。ラフに、友達のルームメイトになった。

ほぼ初めてだね。ちゃんとした「ルームメイト」ができるのは。一人は長く知っている友達。もう一人はその大学の、演劇学科の同級生。その部屋は6月からその友達の友達が住む予定で、空いてる5月末までは住んでもいいよ、と言ってくれて。だから3月の19日?とかに入居してから、ずっと家を探しながら、とりあえず1ヶ月、また1ヶ月、と。家が見つかったらすぐ出るし、もし見つからなかったらギリギリまで延長させてね、みたいな感じの話をしてて。無理やり見つけるみたいなことはできなくはないけど、落ち着ける、好きな家を見つけたかった。

家賃は、東京よりは少し高め。東京と同じような条件の家を探そうとすると高くなる。ベランダとかバスタブとかみたいな、あとはちゃんと日の当たる窓のある部屋とかを選ぼうとすると本当に高くなっちゃう。でもある程度の金額出すんだったら自分の満足するような家を見つけたいと思いつつも、それでもなかなか見つからないのよね。自分の心の中で思っていた金額から、どんどん上がっていく。
591っていうアプリを使ってみんな家を探すんだけど、物件がサイトに出されてから、(ドイツみたいに取り合いにはならないけど)、いい家って基本的にはずっと張り付いてる人にすぐ取られちゃうじゃん。ずっと自分も張り付いてはいたんだけど、なかなか見つからなくて。

本当に、昔と比べて、一応仕事もちゃんとしてて、今はちゃんとした家に住みたい。ちゃんとしたっていうのは、例えば自分が安心して夜中でも朝でも昼でも音楽もできるし、リモートワークで家で仕事をすることが多いから、家でもちゃんと仕事が快適にできて、人が来たい時に来れて、溜まれるような家にしたいというか、そういう条件の家を見つけようと思っていて。
それで本当に5月の最後のギリギリに次の家が決まったんですよ。退去まで本当にギリギリで。でも、これどうしよう、と思って。見つからなかったら、所謂ウィークリーマンションみたいなところに行こうかなとは思ってたけど、何回も引っ越しって大変じゃない。

でも、台湾からドイツに行く時に物を結構捨てたのよね。本当にこれ何の気持ちだったのか俺もあんまり思い出せないんだけど。台湾に8年いてドイツに行くっていうこと自体が、8年で本当に積み上げてきたものもあるし、それをあんなこんな理由で違う場所にチャレンジするという時に、いろんなものを持ってられないというか。物は大事だけど、とりあえず身軽でいたいみたいな気持ちがあって、いろいろ捨てちゃった。で、だから帰ってくる時も段ボール3個、4個分くらいかな。でもやっぱり引っ越しっててすごい面倒くさい。今使ってるディスプレイ、モニター達、ドイツにも連れてって台湾に持って帰ってきたんだけど。3台。27インチのモニター3台と、パソコンで4モニターみたいな感じで普段作業するのね。だからそれに合った机を買ったりしなきゃいけないし、引っ越しの回数はできるだけ少なくしたいみたいに思ってて。

ちょっとすごい前置きが長くなっちゃったんだけど、太陽光も入ってくるし音漏れもあんまりしなさそうな、天井が高めのロフトみたいになってる、本当に好きな家が見つかって。これだったらみんなも溜まれそうだなみたいな。(反動かもしれないけど、今はみんなの話を聞いて、吸収したい。いろんなことを。だから、みんな、遊びに来て!)

ただ、6月15日からしか入居できないっていうように大家から言われて。それまでどうしようかなと思ってたら、Leo王から2週間だけとりあえずど泊まりに来いよ、と。彼の家は台北から離れたところにあって、中庭があって犬がいて、1階がすごく広くて、屋上があってみたいな。3月末と同じ感じで「OK OK」みたいな。ラフな気持ちだった。彼の家に2週間住んでたんですよ、6月の1日から10日くらいまでかな。

結局、結論的には大家が早めに家を開けてくれて、2週間もせずに入居できるみたいになったんだけど。その間の生活というと、Leo王の家から台北までだいたい車で4、50分くらいかかるのよ。別にすごい距離が離れてるわけじゃなくて、一応は山の道をくねくねするから、朝とか夕方だと台北に出勤する人とか車もちょっと混んでたりして。結局は台北にいろいろ用事があるから、貸してもらった車に乗って、台北行って帰ってみたいな生活を一応10日間してたんだよね。つまり、どっかに行くのにも1時間かかるこの感じが、すごい昔東京に住んでたときの、住吉から麻布に行く、通学のようで。じゃあ今日は何のアルバム聴こうかな、っていうのもなかなか楽しめたっちゃ楽しめたんだよね。

っていうところに、急にその友人から4時間のボイスメモが送られてきて、いやでも4時間か、と。一気に聞き終えるような時間は確保してみたいけど、なかなかそうはいかないと。だからじゃあ片道1時間しないぐらいだから、だいたい2日、3日ぐらいで聞き終わるのかなと思って。ちょうど、次の家に入居する前の時だったから、IKEA とかに行っていろんな買い物をしたり、新居の準備をしてた時だったんですよ。新莊の大きな IKEA までだいたい片道1時間で往復して。で、数日かけて聞き終えたっていう感じなんだよね。

(その友達とは、中高が同じで、もう15年の仲。彼は物事や思想を考えることに時間を使い、5年ほど遅く大学に進学した。)

さっき別の友達とも感想を話してたんだけど。その友達は、そのボイスメモを聞き始めてすぐにこれ就職系の話って分かったみたいな。俺はそれが全然分かんなくて、アホなのか、車運転しながらだったからなのか。だから本当に最初の方ずっと彼の話す具体的な話やいろんな固有名を追ったりしながら、ついていこうとはしてたもののなかなか入り込めなくて。でも車の中で聞くポッドキャストってそういうもんだったりするじゃない。

右に曲がって左に曲がってとかしてると内容が耳に入らなくて、漏れたりするけど、そういうもんかなと思いながら。いろんな具体的な話があるなと思って聞いてると、ここでこういろんな具体的な話の後に、こういうね、こういう風に進路を決めたんだっていう話を聞くと、さすがだなというか。感じるものがあった。

これもだからね、普通だったらこの春からどこどこに行くことに決めましたみたいな1、2行3行のことを、人生っていろんなコンテキストがあって、でも多くの場合はそれを省いて結論だけ説明しちゃう。なんで省くかって、やっぱりみんなそれぞれの限られている時間内の人生があって。この4時間でこの流れの中で伝えたかったことを、もちろん車を運転しながらだったけど、ちゃんと感じながら聞くことができて、本当よかったよね。感じることができた。

具体的なことを話した後に、就職の話をして、最後には、「原動力」の話を彼はしていた。4時間ってだいたい、誰かと会ったりすると、人と話してご飯食って、カフェ行ったりするときはしたりして、まあ過ぎていく時間の長さだと思うんだけど。ここで最後、原動力の話まで出されると、これ4時間じゃなくて、俺らが16、17、18歳からずっと悩んでいた、今までの10年間のこの話の流れがあって、それでやっとできる話なんだっていうことも分かって、すごく熱くなったんだよね。

(原動力とは、「何かに没頭する理由」「なぜそれに没頭したいのか」のエネルギー)

最近も同じようにいろんなアーティストの手伝いをしてて、縦型の動画をどういうふうに30秒で見せるかみたいなことを話したりするけど。やはりあんまり慣れないね。やっぱり短い中で伝えられる濃さ重さと、本当に長い長い時間の中でドスンと心臓の中に入っていくような重さで伝えられるものって全然違うからね。違うからねって当たり前のこと言ってるけど。っていうのを感じてたら、ちょうどたまたま帰り道で車運転してて、夕日がすごい綺麗でしたと。そういうところも含めて、なかなかエモい4時間だったんですよ。これを伝えたくて。

だからポッドキャストっていうか、喋りながらみたいな形式だったのもすごく興味深いというか。例えば別の時に、今まで定期的に彼から手紙のような文章が来たら、一文字一文字ちゃんと読み込んでやろうっていう気持ちにもなるけど。まあ、音声って、流しながら聴くみたいなところはあるじゃない。だからあえて前半で流しながら聴くような具体的なことを言いつつ、最後にバッと刺していくみたいな。アルバムというか雑誌みたいな。映画というか。30秒じゃわからないことを、長い時間の中で感じる、今となっては本当に大切な体験だった。

でも本当に、まずはおめでたいよね。おめでたいって、もちろんバイトを決めるのと一緒で、とりあえずここ行くわ、こうするわっていうことは、多くの人はできるのかもしれないけど。16、17、18歳、いや14、13歳。中学で知り合って、クソガキみたいな時期もあって、世界のことなんて何もわからなかったクソガキというか子供だった自分が、自分のことに責任を持つようになって、世界に対してもある程度解答をしようとして、或いはある部分への回答を諦めたりして、ここまで、10年。

17歳、18歳、僕はその傍ら、雑誌を作ったり映画を作ったり。何者かになりたいというか、wannabeであり、同時に何者にもなれないかもしれないけど世界に立ち向かっていた自分が、こうして少しずつ部分的に何者かになっていくみたいな。なるというか、なっているみたいな。進行形から既成事実にどんどん変わっていく、この人生。

よく連絡する時期もあれば、だんだんそれぞれが違う人生を歩んでいって、連絡は季節ごとになっていったり、忙しくしてたら1年連絡しませんでしたってこともあったりするけど。その間に、進行形のものが過去形になっていったりもする。

この時間の流れの中で、俺も鏡見てちょっとシワというか、シミみたいのがあるなとか思ったり、頭のてっぺん気になるな、気づけばアラサーになっていって。アラサー。こうやってずっと生きていくこともそんなに簡単なことではないよね。それは有名人がいつ死んだ話とかだけじゃなくて、身近にもいろんなことはあっただろうし。生命の移ろいの中でも、ちゃんと生きて何者かになっていくっていうのを、いろいろ思い出してくると、わあ俺、こんな4時間の音源、音声データ聞いていい人生なんだっけ、とか。でも、やっぱそういうこと考えちゃうんだよね。だからちょっと、全然具体的なものに対して具体的なところで、こう返答できるような人間では俺はないんだけど、そういうフィーリング、感じ方がありましたっていうことは伝えたいんですよ。

さてさて、というか。自分も台湾帰ってきて——帰ってきたって言うけど、ドイツに行くっていうのも自分の選択だったし、台湾に帰るっていうのも自分の選択だったし——。本当に生活の中にいろんな選択があって。でも選択って、何かのノリだったり勢いだったりすることもあれば、選択をする前にもその選択ってもう既にされていて、俺は多分こういう風になって、これを大事にしたいんだなとか、これを守りたいとか、これを守りたくないとか、いろんな潜在意識というか、潜在的に考えていることがあって、それが結束してと集まって一つの決断になっていくみたいな。だからその彼の話を聞いてると、いろんな前の具体的な話が、いろんないろんな線がつながってつながってまとまって一つの決断になっている。その中の一部には、痛かった、痛さすら認知できないような痛覚を含んだ昔の話もあっただろうし。

で、一番感じたのは、最後に彼が話していた、「原動力」についての回答について。

(彼は、観光学を学び、多くの地方創生のプロジェクトに参加している。その中で子供たちに対するレクチャーの中で「何でそんなに熱心なんですか?」と聞かれたことのエピソード)

彼は原動力問題への回答として、誰かのために体が動いちゃうことっていう表現をしていたよね。これが本当にこの数ヶ月というか、半年、一年考えていた——半年かな、台湾に帰ってきてからかな——ずっと思っていて。

(僕たちは18歳の頃、喪失の後、「これ以上、自分を没頭させてくれるような事柄はない」と少し絶望に感じたようなことを感じていた。)

話をさかのぼると、2024年は MV 33本撮ってて、台湾でこれだけ、ヒップホップだけじゃなくていろんなメジャーというかポップのアーティストから幅広くやってたんだけど、やっぱり業界に関わる中で、自分はどういうスタンスで関わっていきたい、でもそれって業界に関わるというか、音楽に対してどういうスタンスで関わっていて、その先に業界っていう手段があって、最終的にはどういう風に繋がっていきたいっていうところにこだわりがあったんだよね、2024年。

例えばやっぱり台湾にはすごいいろんな感謝というか、俺のアイデンティティーの一部もここにあるし、だからこそこの場所を良くしたいみたいな風に思うというか、どうやったら良くできるのか。やっぱり台湾にはいろんな面白いことがあります、楽しいことがありますと。これはみんなにもいろいろ知ってほしい。なんでその面白い楽しいことがあるかというと、やっぱりこの土地にはいろんな可能性があって、可能性って言うとうさんくさいけど、いろんなこの土地なりの文脈があって、そことつながってできているいろんな文化、文化の中にはエンターテイメントも含まれるし、いろんな言葉や文化や歴史がこの場所にありますと。それらがどこにあるかっていうと、やっぱりこの場所、台湾なんですよね。

いざ日本の人と話してると、そんなに賢くなくない人でも、台湾って中国だっけ、みたいなことを言う人がいますと。本当にその人がアホな可能性もあるけど、でも俺、聞いてきたの一人や二人だけじゃない。台湾っていうものの存在感、もちろんニュースで政治で知ってる人は多いけども、やっぱり文化としての存在感が薄い側面もあると思っていて。それはその中の一つで、俺が好きなヒップホップミュージックやいろんな音楽のジャンルの中で、本当にこの土地とつながって、あなたはそのリリック書いてますか、みたいな。レベルミュージックが好きなんだよね。本当にこの土地とつながってこの音楽、その態度を作ってますか、みたいなところにすごく疑問を持っていたというか、俺なりの考え方があったんだよね、2024年に。

私はその中にいろんな挫折があって、俺の考えと反対側の人もいて。具体的にはあれだけど、もちろんある種の戦いもあるし、戦わなきゃいけない時もあるけど、それを選んでやりたいと思っていたんだよね。なかなかその環境やこの業界、この音楽業界、ヒップホップ業界の流れというかが、俺の考えとはまた別のところにあって、こんなんじゃダメじゃんみたいな。こんなんじゃダメじゃんっていうのも、やっぱり言葉に魂が宿ってほしいというか、その人なりの言葉があってほしいけど、そこに批評もないし、コマーシャルをしてるだけなんじゃないか。そんな流れにすごく失望していて。それもあって、自分がドイツに行くっていうことに対してすごく肯定的になっていた部分もあったんですよ。かなり大きいかな。そうじゃなかったら多分、いやもっと俺は台湾でやってたと思うんだけど。

で、ドイツに行ってからは、本当に二者関係、当時の恋人とずっと一緒にいて。だから自分自身を見つめ直す機会でもあったんだよね。自分がどういう生活をしたいのか、生活の細かいところみたいな、自分がどんな優しい人でありたいのか、或いは自分の優しくないところみたいな。徹底的に自分と見つめる10ヶ月の"合宿"でした。自分を愛せる自分もいれば、自分を愛せない自分もいる。他人を愛す勇気があると思えど、実は他人を愛する準備ができていないんじゃないか、とか。ともかく色んなことを考えてた。

それはそうとして、いざ台湾に戻ってくると、急に自分の大事なものが、そういったこだわりや文化へのこだわり、文化へのこうあってほしいみたいなところから、もっとホスピタリティ寄りに変わっていってて。自己愛や他者への愛と向き合う時に、もともと頭で考えていた「こだわり」よりも実際に動いて「優しくする」みたいな方向のほうが、僕はわかりやすかった。

これもいろんな原因や出会いがあるんだけど、一つは、2024年ぐらいから関わりを持っている DSPSっていうバンドがいて。いろんな話を聞いてると、そのバンドの音楽の理念や方向性として、音楽を聴いてる人に癒しを届けたい、「癒しを届けたい」とは思ってないとは思うけど。簡単に言うとね、癒しが中心の核心に必ずある。癒し、って言うと「癒し系」みたいになってしまうけど、でも実際、他の人に癒しを届けられる役割をする人ってそう簡単じゃないよね。癒しというか「癒しに関する象徴的な音楽」という言い方の方が、丁寧かな。だけど、概念を捨てているわけではないという。概念があって、メッセージがあって、その延長にそれぞれの独立した個体としての、癒しがある。

介護をする人、アイドル、オタクに勇気を与えるアイドル、オーディエンスに癒しを与える人。その人たちって、ある種自分の人生を切り取って、もちろんそこには快楽はあるよ、カタルシスもあるけれども、それだけじゃなくて、やっぱり何かを人に渡すっていう側面はありますと。

よくこの話をするんだけど、Lily Spaceyが台湾で今流行っていて。YBSGの人ね。あの人、本当に24時間のうち多くの時間をあのキャラクターというかあの設定で生きているんだなと。偉大だなと思ってる。彼女が前に出したZINEの中に、彼女の電話番号が書いてあって。「每天都要一起開心」「不開心的話打給我」。ただただアッパーなだけじゃなくて、ダウナーの人たちのことも気にしながら、アッパーな自分を演じれる、っていう。そんなある種の「ホスピタリティ」を、今はすごく尊敬してる。

本当にみんないろんな悩みが分散している中で、社会のせい、街のせいじゃなくて、(そうでもあるけど)、本当にみんなが個人的な悩みを持って、悩みが生活のルーティンにある人もいるし、でも本当に悩みが大きすぎて辛すぎて生きていくのが大変だよっていう時に、音楽を聴いて救われた経験とか、この人のアイドルのこのノリって楽しいなとか、そういう実体験を思うと、そういう役割って本当に大事だし、もっとその方面を大事にしていかなきゃいけないっていう考えにシフトしていくようになったんですよね。

だから例えば、俺がドイツにいるときに結構本当に辛くて、辛いって言っても人間関係の上のことだから、解決方法はどこかにあるのかもしれないけど、でも本当にかなり辛くて、っていう時に救われた音楽とかがあったりして、今大事なのは「ホスピタリティ」だと思って。こんな時代だからこそ、って簡単に言いたくなるけど。ポストコロナ、保守的になったり、アルゴリズムに乗っかったりするのもいいけど、「悩み」の部分への本質的な救いみたいなものは、「こだわり」の中ではどうしても、提示されにくかったりする部分はある。

だから本当に、彼の言うように、「誰かのために体が動くみたいな」っていうその感覚を大事にしたいなと思っていたところだった。俺も28歳、30歳手前で、やっとここまでたどり着いたなっていう感覚があって。本当紆余曲折、いろんなところ遠回りもしてきたし、一人で悩んでこうじゃない、ああじゃない、ああじゃないの中に人を傷つけてしまうこともあったり。人とせっかくの出会いも、別れたりとか、いろいろあったけど、誰かのために動きたいっていう気持ちには、純粋な気持ちとして、ちょうどたどり着いていたところだったんですよ。別れや出会いがまた繰り返されていくとしてもね。

そんなこんなで考えて聞きながら車を運転してた。IKEAからの帰り。右手側に夕日が光ってて、別に涙が出るとかじゃないんだけど、いろんな悩みがあってここにたどり着いたっていう、その一直線、一本の線をガーッと胸の中瞬時に濃縮して、また大きな草原を転がしていくように感じて。一人の人間、一人の感情って瞬間だけじゃ説明できないから、その過去のいろんないろんないろんないろんなものがね、こうギューッと詰まったような、過去のいろんな具体的な話から決断の話から、そこから原動力の話に戻ってくるっていうところまでね。いやー、このボイスメモ、なかなか、映画というか雑誌というかね、すごい懐かしい気持ちにもなったよね、というのがね、僕のその友人のpodcastへの感想ですね。

ただ自分も、そこまで考えて何か決断してるかっていうところももちろん考えながら。だからその4時間のテープを4回に分けて聞いたから、もちろんその間で1時間聞いて、別のことをしたりとか別の時間を過ごたりとか。

うーんと。最近どんな決断をしたかな、自分は。決断をしないことで、もっと多くのものを吸収するみたいな態度ももちろんあったから、決断を遅らせることで正確性をもっと上げる——正確ってなんだって話だけど——その場の衝動、その場の間違いじゃなくて、決断を猶予することでもっと正確なものに近づけていくみたいな考え方もあったから。

例えば2024年に MV、1年間に33本。33本ってどうやって「やる」の?でも自分も 当時は、今も、MV 修行生みたいな気持ちもあるから、とりあえず何も選ばずに、とりあえずやってみるという気持ちでやってみたけど。一旦それを今年はやめてようかなと思って。もちろん台湾帰ってきてありがたいことに、色んな撮影の話はもらったりするけど。ただ今年は、もしかしたら「案件」としてMVは受けないかもしれない。そうしたらどうなっちゃうのかは、あんまり分からないけど。

案件をやめた時間で何をしたいかだよね。ただその間の時間にちゃんと音楽を、自分は音楽を作るのが楽しいと思ってるし、その音楽の中に考え方を入れていくのが楽しいと思っているから、ちょっと少しでも形にしてみたいなと思って。だから今年はちょっと音楽に力を入れたいと思ってるんですよ。

でもやっぱり映像は、映像の表現は映像の表現でまた奥が深いというかさ、いろんな技法を組み合わせたらこういうものが作れるんだとか、っていう自分が思っても見なかったことができるようになるっていうところに喜びはあるけれども。やっぱりでも、案件をやってるとね、もちろん「増田さんクリエイティブ全部任せます」みたいに言われても、結局は MV って、監督2人、音楽のプロデューサーと MV の監督、2人3脚ですよ。だからその相手と人生レベルで共感ができないと、自分が人生レベルで共感できる MV が撮れないみたいな。もちろんかっこいい MV みたいなものって、方程式はなくはないからさ、それに沿ってまた俺かっこいい映像撮れたとか、っていうのはできるのかもしれないけど。自分が他人に人生レベルで共感するためには、他人が自分に人生レベルで共感できるような、隙間も持っていなければいけない。

(DSPSはそんな音楽だと思う。その隙間のことを、僕は「癒し」だと呼んでいたのかもしれない)

2人3脚して楽しい人ってそんなに出会えないからさ、そっちの方にかけてみようと思って。とりあえず手ぶら足ぶらにしとこうと思ってっていうのが、最近の決断というか、4月からそうしてるんだけど。手ぶら足ぶらにする勇気は必要だった。もっと速く速く上に登っていかなければいけない、みたいなプレッシャーも、どうしても頭の片隅にある。登ったあとに何があるのかはわからないけど、とりあえず、何も考えずに登り続ける。

そんな自分のことや、自分の音楽もそうだし、あと3つくらい、今気になってることがある。

1つは、台湾戻ってから叁朝屋の人と話してたら、DIY DIYの話を聞いて。確かに叁朝屋って7年8年続いてると、自分たちの色が出来てくる。たまたまコマーシャルとかに寄り添わないような歴史だった。こういう、自分や自分たちにしかない色を本当に大切にしていくっていう姿勢が、今は大事だと思っていて。
去年一昨年は、自分がどのようにして手を伸ばして足を伸ばしていけるか、根を深く根を張っていけるかみたいなところも正直あったんだけど、今になって考えると、台湾のこの規模でやるんだったら独自性みたいなものを大切にする。

なんでそれを大切にするかって、独自性なんて作ろうと思って作れるもんじゃないというか。リールスも新しい技を生み出そうと思ってみんなリールスのクリエイターが頑張ったりしてるけど、その独自性じゃないと思うんだよね。自分の人生があって、他の近い人の人生があって、あるいは遠かった人生がこの場所で交わって、その中で交わるっていうのは、ただすれ違うと交わるは違うからね、交わって、ここでこの瞬間でこの人とこの人じゃないとできなかったもの、それが長く続いていく。もちろんそこでポンとできたものにも独自性はあるけど、それが長く続いていくと、それが独自性になっていくんだと俺は解釈してて。それが人生の財産、豊かなものかな。叁朝屋もその一部だと思うし、自分が今表現したいと思っている、ずっと表現していることもそうなんだけど。

あとはやっぱり、この旅の中で出会ってきた周りの人の、その人の独自性にも耳を傾けたい。その人の人生に共感をして、自分が血汗かいて学んできたものをその人にもシェアしたいというか。その人の独自性、その人生の中で自分が得たかったもの、自分が学んできたものをまたそこで交わらせたらどうなるか、ということにすごく興味があって。抽象的に言ってるように聞こえるんだけど。

すごい具体的に言うと、今年は百恩のアルバムがリリースされる予定なんですね。デモが12曲ほぼできてて、まだ一応プロダクションの段階ではあるんだけど、本当にこれ楽しみで。

百恩って、知ってる人は知ってると思うんだけど、日本統治時代のおばあちゃんがいて、日本統治時代で生まれ育ったおばあちゃんに育てられた百恩と。だから日本語のルーツもそこにはあるし。でも台湾ってすごく複雑でね、日本統治時代、日本語の時代から、中華民国、もっとたどれば台湾語、台湾語、日本語、中国語からの、最近の英語だよね。みんな日本人より英語すごい喋れるし、幼稚園の頃からみんな親しんでるわけだけど、っていうその4言語をすごく自然にこなしたアルバムを作ってて。言語っていうのはその側面なんだけど。

テーマは「母から生まれたこと」っていうのをテーマに。でも何かが繋がっていくのって、思想上、上から下に。でも生命っていうのはやっぱり、母がいて父がいて自分がいてっていうことだよね。母から受け取ったもの、それが下に続いていくっていうのと、台湾、この島っていうのを重ね合わせて作っている、なかなか尊いアルバムなんだなと。

もちろんアルバムって、作品って感覚で作れるものはあると思うんだけど、その百恩と、あと百恩だけじゃない、スパンのいろんな人の人生が詰まったアルバム。そこには日本語もあるし、百恩と日本語で話してきたいろんな思い出もあるし、百恩から学んできたこともあるし、っていう。やっぱり百恩のアルバムのこの一部の人生には俺も参加してる意識はあって。それが独自性というかさ——ごめん、独自性っていう言葉は今、俺の定義で使ってるけど——尊いものを守りたい、守りたいというか、ちゃんとそこに関与したい、関与したいって言ってもおかしいな、ちゃんと花が開くように、そこにいる一部の人間として、ちゃんとここで自分のできることを貢献してみたいっていう気持ちがあって。

だからそのためにも、やっぱりリリースするには MV も大事だし、A&R みたいなものも大事だし、いろんな細かいこともあるよね。ただ曲をリリースするとか、ファイルがどう、アップロードがどうみたいな具体的なところもあるけど、っていうところに、ちゃんと目の前の身の回りの人のことにちゃんと参加していくっていうのが——今までいろんな業界、いいこと悪いこと、嫌なこと、嫌なことはそんな多くないけど、歯を食いしばってきた甲斐というか、それがやっと身の回りの人に対して使えるっていうのが、これまでじゃあなんでそれをしてきたのか、っていうことの一つの答えにはなると思うから。

ただ別に、そんなにみんなができることを、自分がしたくないことをやってきたわけではなくて。でもそういう業界みたいなものがずっと好きな人もいるし、俺もそういう仮面をかぶってるわけじゃないよ、自分もやっぱりそういう面もあるからさ。でもやっぱり最終的には、そういう理念に共感をしたいし、そこから花開く作品が好きだしっていうところで、百恩の MV だったりのために、ちょっと体を空けたりしてる。これが一つと。

あともう一つはね、5月末まで一緒に住んでた映潔っていう大事な人がいるんだけど、8月にソロの劇をやるのね。ちょっとこの話をするとめちゃくちゃ長くなっちゃうんだけど。今回初めて劇団に少し参加して、もともと僕は台湾の音楽業界の悪口をよく言ってたんだけど(笑)、みんなそんなに概念とか考えずにやってんじゃないかな、とか。概念っていうか、業界の企画職の人が考えたものの服を着て、今回こんな感じです、みたいなっていう。概念が後からついてくる感じの業界のスタイルがあんま好きじゃなくて。

これ業界の人たちだけじゃなくて、いわゆるヒップホップみたいな、ヒップホップとかちゃんと考えてますみたいなところでも、業界の企画、流行みたいなものに侵食されてるなと。なんだなんだみたいな。もちろん耳で聞いて気持ちのいい音楽も大事だけど、やっぱり何を伝えたくて、何を本気で伝えたくて、何をこの人生の中で伝えたい、自分というものを犠牲にして伝えたい、自分の人生の中で伝えたいのか、っていうことがやっぱり気になっちゃうから、エンターテイメント性の強い作品にあんまり共感ができなくて。それが音楽業界なのかなと思ってた、音楽業界というか音楽の作品ってそっちの方に行っちゃうのかな、とか思ってたけど。

いざ劇団の会議に参加してみると、演劇はあるけど、確かに概念がないと、概念がちゃんと話せてないと、そもそも劇って成立しないじゃん、っていう。この概念を伝えるために、この手法を取って、こういう構成で、こういう風に進行して、どういう風に感じてほしいです、っていうところが一直線でないと劇が成立しない。っていうところの要素が音楽よりも強いように感じたんだよね。本当にただ会議に何回か参加しただけなんだけど、それにすごく感銘を受けちゃって。なるほどみたいな、確かに音楽や映像にこだわってたけど、もっと違う表現に参加してみないと、手を出してみないと分からないことがたくさんあるなと思って。すごく新鮮な気持ちだったんだよね。

(概念と、そして手法と、その選択。どこまで重要なんだろう?在意與默契のMVでのバンドとのコミュニケーションは、それを思い出させてくれた)

それはさておき、ちょっとこれね、テーマ話すと長くなっちゃう。話すと長くなっちゃうって、演劇の中ではソロっていう文化があります。その、一人の、いろんな劇団とかに参加してる人が、自分のテーマに向き合ってソロ、一人の公演をやりますと。これもなかなか面白い文化だなと思ったんだけど。だからファーストアルバムみたいな感じだよね。映潔も知り合って6年くらいかな、いろんな悩みも聞いてて、悩みの部分とかがテーマと繋がるんだけど。愛されていたと思っていたことが、実は愛じゃなかったんじゃないか、とか。疑いの中で、自分という存在と向き合う。普通のオーディエンスだと思っていた人が、自分のことを彼女だと思ってました、みたいな謎な事件だったり。自分と他人、そして自分と母、子供の頃の自分と、今の自分、なりたい自分、なりたくない自分。赤の他人と、身近な人。愛したい人、愛していた人。自分という一人の存在を考える時に、色んな範囲のことを、痛い思いをしながら、考えて向き合い続けないといけない。これは、大変なことだよね。

人の"ファーストアルバム"に参加できるのってすごく光栄なことだな、と。ファーストアルバムにはその人の人生、いろんなメッセージ詰まってるけど、セカンドアルバム以降実際何言えばいいか分かんない、とか、もう言いたいことは言い終わった、とか、あるあるじゃない。そこにはあると思うよ、ファーストアルバム以降のいろんなまた別のメッセージがあると思うんだけど、やっぱりアルバムにすべてメッセージが詰まっていると考えてしまう価値なんですけど。

だから百恩のそのアルバムもそうだし、映潔のこともそうだし、それがすごく尊いなというか。自分も一番最初に作ってリリースしなかったEven Smallerの中に、自分の世界観のね、あの頃から今まですごく大事なものが詰まっているし、たまに聞き返してその頃の自分とまだ会話をしているし。その頃の自分はどこから来ているかっていうと、その成長の過程で、街の変化の中で思っていたこと、環境や自分が大きくなったり小さくなったりしていく、大事な1個目のポイント、1個目のポイントに、やっぱりいろんな観察力が含まれているから。

そういうのに参加できる機会って全然なかなか尊いなと。そういう機会に対してちゃんと自分が参加できるような、手伝えるような、寄り添えるような人生でいたい。そんな人生でいたいって言うと大げさだけど、手を空けていたいなっていうのもあったんだよね。

もちろんこのまま MV 監督としてって言ったら、頑張ればもっと映像表現を極めてっていうこともできなくはないけど。これが俺の性格なのかな。もともとは雑誌を作って、映画を撮って、音楽やると思ったら次は MV って、いろんな表現を理念ベースでいろいろ試していくっていう人生なんだけど。だから MV とは、もしかしたら今のところこれから距離ができていくのかなと思っていて。わかんない、もしかしたらまた MV にどこかでまた自分を奮い立たせるようなものに出会って、関わり方が関わっていくのかもしれないけど。また雑誌や映画とも出会えると思っているし。特に、お別れ、とかはない。

元々は、平成の終わり頃、19歳で台湾に来た時は、周りの台湾の同世代の人たちよりも、メッセージ性や思想的なもの、理念に関しては前を走ってたと思うんですよ自分は。だけどみんなが、自分の人生の中で自分のメッセージについてすごくまとめられるようになって、自分も自分で元々のメッセージ性から変わったり、メッセージが変わったり、また違う方法でみんなと関われることになって、いろんな話ができるようになって、それが今嬉しくて、喜ばしくて。そんな会話や行動のために、体を空けられるような人でいたいなと思ってます。

新しい家に引っ越してからは久々に、たくさん音楽を作ってて、他の人を呼んで「こんな感じの音楽がずっと作りたかった」を作ってみたり、何でもない話をしたり、悩み事を授けてもらったり。

(最近、僕はバイブコーディングにハマっている。バイブコーディングとは、AIでコードを書かことを指す。「雰囲気で」コードを書く)

でも多分、人によっては気になるのは「音楽作って何になるんだ」みたいなところだと思うんですよ。例えば地方創生の中でのソフトウェアやDX。何かを作ることで何かの助けになるみたいな、っていう具体性はあると思うんだよね、本当に。政治や商業や、学術。さまざま、世界を変える方法がある。でもそれって縁だとは思ってて。でも、自分が感動してきたいろんな経験の中に、何があるかだとも思うんだよね。俺は色々あった中に、たまたま音楽があったりして、言葉があったりして。まあ別に音楽だけじゃなくてもいいんだけどね。それが癒しなのか、そこにこう違う答えがあるのか、その人を変えることができるのか。いろんな社会を動かしてる、インフラやサービスやシステムと比べたら全然、大きくはないのかもしれないけど。でも、大きい方向に行きたいのか、それとも音楽みたいな舞台でやっていいのかは全然、僕もまだ答えはなくて。答えを出そうとは思ってないけど。まあ兎も角、いろんな手法を学んでる途中って感じなのかな。

で、そのボイスメモでも途中触れられていたAIの話も、分かりやすかった。AI はソリューションを提供するけど理解を提供してくれないと。そうなのよ本当に。実際今、仕事で関する質問とかが来て、それを理解せずにそのまま、その LINE のメッセージをコピペしてクロードに投げたりしちゃうこともあるから。でもそれを自分の頭で理解したいと思ってないっていうところはあるかもしれないね。自分のその理解をするための頭のリソースは別のことのためにとっておきたいみたいな。

理解っていうものを放っておきながら、そのAIに対して、ただ頭空っぽでキーボードを操作することだけを覚えてしまうと、何もしなくても何かが解決されていく経験が累積されて、その感覚が、理解をしなきゃいけない現場、人間関係で、自然と発揮されなくなってしまうということもあったりするから、気をつけないと。ちょっとこれはね、予防的ではあるんだけど。でもね、なかなか便利だから人間は、こういうテクノロジーを、無限にやめられないみたいなところあると思うんだけど。

ちなみにClaudeはすごい好きですね。ちゃんと過去の文脈全部取っておいてくれるから、記憶力のいい友達みたいな存在感。GPT とか全然忘れちゃうよね。AI の、AI の良さも学びながら、オールドスクールな違うやり方を、違う表現方法を学んだりしてるっていうのが、最近の俺の人生かな。でも、どれだけClaudeの記憶力やコンテキストを残して覚えてくれる機能が無限になったとしたも、友達みたいに、急に誰の記憶にもメモライズされなかった、小さなクスッと笑えるような出来事を急に教えてくれたりするようなユーモアさは、真似することはできても、生命レベルでは体現してくれないと思うの。クスッと笑わせてくれるような。

だから、みんな、台湾にも時間を見つけて遊びに来てほしい。昔よりも全然案内できるというか、今はいろんなところにも案内できるし。単純にぼーっとしたいんだよね。どこの観光地連れてって、とかはあるけど、ただ一緒にぼーっとしたいな。それが台湾でも日本でもいいし、ドイツでもいいし、タイでもいいんだけど。やっぱ一緒に数日間ぼーっとして、その後にパッと出てくる言葉に、ものすごく共感をしてみたい。それにしか共感したくないことの方が多い。10年以上付き合いがあるとね、言葉の重みがまた違ってくるよね、そうと思ってたんだけどね。

(だから、この文章を見ているみんなとも、5年でも10年でも、長く長く知り合って、色んな共感をしていきたいと思っている。)

ちょっと眠くなってしまった。
なんだろう、どうしようかな、どうしようかなってちょっと終わらせ方が見つからないんだけど。とりあえず、みんなの健康を祈っております。また電話でもメッセージでも、LINE でもメッセージでもください。ご視聴ありがとうございました。